2024.5.23
指揮者 井上道義さんよりメッセージをいただきました。
2024年12月末をもって指揮活動を引退する、指揮者の井上道義さんからメッセージをいただきました。なお、5月25・26日開催の「第661回定期演奏会」が、井上さんと札響との最後のコンサートとなります。
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僕が初めて札幌交響楽団と共演したのは、ペーター・シュヴァルツ氏が常任指揮者の頃で、岩城宏之氏が正指揮者で道庁での青空コンサート大成功していた頃。会場は2,300席の北海道厚生年金会館か、その時もう古くなってきていた札幌市民会館。楽員は、日本フィルやN響から多少年を重ねた奏者が、リーダーのような役割をしている時代でした。飛行機で千歳に着くと、事務局長の谷口さんという名物男が迎えに来てくださって、若造であってもしっかり指揮者を大事に扱って下さり、「遠いところよく来ていただいた」と歓待された時代でした。
僕自身は中学1年(1958年)の時、一度だけ家族旅行で札幌にスキーをしに来ている。スキーを楽しんでからの帰り道、円山のスキー場からタクシーの運転手さんにスキーを付けたままストックを引っ張ってもらって、街のホテルまで妹と道路を滑って帰ったメルヘンのような場所という記憶が根底にあった札幌。プログラムをひっくり返すと思い出が香り立つね。北海道も景気が良い頃、北電コンサートや、夏の野外でのグリーンコンサートに多くの人々が楽しそうに音楽を利用してくれたし、ホテルエイペックス洞爺のコマーシャルに出たりもした。
時は経ち、朋友の尾高忠明が長く音楽監督を務めたが、彼も俺もそろそろ故障ばかりだ。一つのオケに一人の指揮者が長く監督をやる時代でなくなって久しいが、札響が個性というものを持とうと思うなら、街とオーケストラを心底愛し、愛される地元と深く関係ある人が、そこに芽生える環境をまずは住民が、政治家が、メディアが、広く長い目で目標を持てないと出来ないのは自明な事だと思います。札幌はスキー場ではないのだから。
谷口さんは「俺は子供の頃、時計台が見える廊下を通らないとトイレに行けなくて遠いので、廊下から立ちションをしていたよ」と言ってました。こういう人でないとねえ!
井上 道義